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大阪地方裁判所 平成2年(わ)2620号 判決

主文

被告人を懲役四年に処する。

未決勾留日数のうち一一〇〇日を刑に算入する。

理由

(犯罪事実)

被告人は、岐阜市内に本拠を置く暴力団甲野会系乙山組組員のBの配下として、C、DことEが大阪府東大阪市内で経営する不動産業丙川企画に出入りし、同企画の従業員であるFことG、Hと知り合う一方、乙山組の組員であるB、I(Bの実弟)、J、K(Iの舎弟)とともに、Eのいわゆる地上げの仕事を手伝っていたものであるが、

第一  Eが、Lから民事訴訟を提起された上に、公正証書原本不実記載等で告訴されていたところ、Eのかつての部下であったMがL側の証人として予定されているのを知り、民事訴訟等を有利に進めようと考え、Mが不利な証言をするのを阻止するため、Mを殺害しようと企て、前記G、H、B、J、Kと共謀の上、平成二年二月一二日午前一一時三〇分ころ、大阪府箕面市《番地略》の株式会社丁原建設所有家屋(以下「本件家屋」という。)二階において、同所に連れ込んでいたM(当時四六歳)に対し、Kがまず両手で、続いてMのズボンのベルトでMの首を絞め、次いでKとGが電話機のコードや犬の散歩用の紐でMの首を絞め、その結果、そのころ、その場で、Mを窒息死させて殺害した、という殺人の犯行を行ったが、この犯行に先立って被告人は、EがMを殺害しようとしていることを察知した上、本件家屋二階において、被告人一人でMを監視してその逃走を防止し、さらに、本件家屋一階において、窓から隣家や外部を警戒して見張りをし、また、本件家屋一階において、それがMの身体を縛るのに使用されることを認識しながら、Gが同所に張ってあった洗濯用ロープを取り外すのを手伝い、もって、Eらの前記殺人の犯行を容易にして、これを幇助した。

第二  E、G、H、B、J、K、Iと共謀の上、前記殺人の犯跡を隠すために、同日午後一時三〇分ころ、布団袋に詰めて梱包したMの死体を本件家屋二階から運び出して普通乗用自動車の後部に載せ、翌一三日午前二時ころ、岐阜県武儀郡洞戸村栗原字大品野四三〇番地先栗原林道の工事現場まで運び、同日午前三時ころ、同所において、Bがその場にあった掘削機(ユンボ)で林道に深さ約三メートルの穴を掘った上、前記死体をその穴に投棄し、上から土石をかぶせて死体を土中に埋没させて遺棄した。

(証拠)《略》

(殺人の共謀共同正犯の訴因に対し、殺人の幇助犯の成立を認定した理由)

一  検察官は、第一の事実について、被告人は、被害者M殺害の直接の実行行為を担当していないが、被告人と他の共犯者との間にM殺害の共謀が存したことは明らかである上、被告人は、その共謀に基づき、見張り等の行為を分担する等しているのであって、被告人につき、殺人の共謀共同正犯が成立する、と主張する。

二  前掲証拠によると、本件犯行に至る経緯は、概ね次のとおりであると認められる。

1 被告人は、平成元年七月ころより、超音波気泡浴器(商品名バブルスター)の販売普及員として働いていたが、そのころ、中学時代の友人から、当時同じくバブルスターの販売をしていた岐阜市内に本拠を置く暴力団甲野会系乙山組の組員であるBを紹介されて付き合うようになり、Bの運転手や小間使い等をするうち、同年一二月ころより、Bの配下として、C、DことEが大阪府東大阪市内で経営する不動産業丙川企画に出入りするようになった。そして、前記のように同企画の従業員であるFことGやHと知り合う一方、乙山組の組員であるB、その実弟のI、J、Iの舎弟のKらとともに、Eのいわゆる地上げの仕事を手伝っていた。

2 ところで、Eは、昭和六二年夏ころ、M(殺害当時四六歳)と知り合い、丙川企画を経営する傍らMやNとともに、昭和六三年四月ころ、不動産仲介業有限会社戊田興産を設立し、同年一〇月ころまで一緒に営業活動をしていたところ、その間の同年八月上旬ころ、MからO子が負っていた借金の肩代わりを頼まれて承諾し、O子から夫のL所有の土地・建物の権利証とO子に作成させた夫名義の委任状等を預かり、O子の借金二四五万円を代払いし、さらにO子に約三五万円を貸し付けた。ところがEは、右の権利証等を悪用して、同年一〇月ころ、土地・建物についてE名義に所有権移転等の登記手続をし、平成元年五月、これを株式会社甲田に譲渡して、その旨の登記手続も完了させたところ、Eは、同年九月ころ、Lが株式会社甲田を相手に処分禁止の仮処分決定を得た上、同社とEを相手に所有権移転登記の抹消登記手続を求める訴訟を提起したことを知るとともに、平成二年一月二五日には、同訴訟の証拠として提出された告訴状を見て、LがEを私文書偽造、公正証書原本不実記載等で告訴し、かつ、右告訴状には告訴事実に関するL側の証人としてM、N、O子の氏名が記載されていることを知った。そこでEは、M、Nが右登記手続についてEが不正をしたことを知っており、M、Nが証言して真相を明らかにすれば刑罰を受けることになると思い、かつての部下に裏切られたと腹が立つとともに、同月二六日に、Eは、別件の恐喝罪等による一審の実刑判決に対する控訴を棄却する旨の判決を受け、取りあえず上告したものの、実刑が確定して近い将来収監されることが予想され、しかもその時期がEの当初の見込みよりも早くなったため、Eが手がけていた不動産の売買交渉を途中で打ち切るほかなく、これにより多額の損害を蒙ることを考えると、前途暗澹たる気持ちになった。こうして、そのころから、Eは、被告人、B、Jらに、Lから民事訴訟を提起されており、これに負けると刑事事件になってさらに二、三年余分に懲役に行かなければならなくなるので、民事訴訟を有利に進めるためにはL、M、Nの三名を殺さなければならない旨話した上、Bらに報酬を約束して殺害を持ちかけるなどし、さらに、G、H、Jらに対し、まずLの殺害を命じ、これを受けてH、G、JがLを殺害しようとしてその後をつけたりなどしたが、結局実行することができなかった。

他方、前記のように丙川企画に出入りしていた被告人は、そのころ、Eが、前記のような事情からL、M、Nの三名を殺害するなどと話しているのを聞き、EのNら三名を殺害する企画につき半信半疑であったが、程なく、GとJがLを殺害するための下見から帰って来て、その結果をEに報告しているのを聞いて、Eが本当にLを殺害する計画を進めていることを知った。

3 Eは、前記のような経緯からLの殺害を実行することができなかったことから、先ずMやNが不利な証言をすることを阻止しようと考え、同年二月一二日午前七時ころ、B、被告人、K、G、H、Jを大阪府東大阪市内のE宅に呼び集め、「今からMをさらいに行く。」と指示し、Eら七名全員が自動車二台に分乗してM宅のある同府岸和田市に向かった。

被告人は、Eの前記指示を聞いて、MはEが殺害すると言っていたうちの一人であったので、Eの前記指示は、Mをさらって殺すという意味ではないかと思ったりもしたが、なお疑問を持っていた。

Eは、岸和田市に向かう途中、Bや被告人らに対し、Mを電話で呼び出すので、Mの運転する自動車にわざと被告人が運転する自動車を衝突させた上、Bらが因縁をつけ、そこへEが仲裁に入り、示談交渉をするように装ってMをさらう旨指示をする一方、Mに電話をかけて言葉巧みにMを呼び出した。そして、Bや被告人らは、Eの指示どおりに事を運び、事故の示談交渉をするように装ってMを連行し、同日午前一〇時ころ、Eの指示する本件家屋にMを連れ込んだ。

4 (1)Eの指示で、K、Hは、Mを本件家屋二階(以下単に「一階」あるいは「二階」という。)に連れて行き監視していた。一方、Eの指示により、GとJは、E宅までクロロホルム液様の入った瓶とスプレー、封筒入り現金(二〇〇万円)を取りに行き、また、被告人は、EやBらが食べる弁当を買いに行った。(2)被告人が弁当を買って来た後、一階でその弁当を食べ終えたEは、被告人に対し、二階のMに弁当を持って行くように指示し、その際、Eは、「どうせ、これが最後のめしや。」と言い被告人は、二階のMのもとに弁当一個を持って行った。(3)弁当を持って二階に上って来た被告人と入れ替わりにKとHの二人が一階に下りた僅かの間、二階において、被告人一人でMを監視してその逃走を防止していた。(4)その後、二階では、Eの指示を受けたKとHが、Mの顔や頭等を殴ったり、腹等を殴ったり蹴ったりし、Eがその仲裁に入って、暴行を止めさせるなどして示談交渉をしているように装い続けた。(5)さらにその後Eは、Hに対し、GとJが持ってきたクロロホルム液様のものをスプレーで吹きかけて気絶させるように指示し、HがMに対し、同液スプレーで吹きかけたが、全く効き目がなかった。Eは、この時、BやJに対し、Mをけん銃で撃ち殺してはどうかという趣旨のことを言ったが、音がするからいけないとBやJらに反対されるという一幕があった。(6)Eは、BやKに対し、Mを殴ったり蹴ったりして気絶させるように指示し、Kが二階に上がり、Mの腹を膝蹴りする暴行を加えた後、Kが一階に下りて来てEにその状況を報告したところ、Eは、もっと徹底的にMを痛めつけるように指示し、K、B、J、Hは、二階でMの胸や腹をげんこつで殴ったり、足や膝で蹴りっける暴行を加え、Mを気絶させた。そして、これもEの指示により、気絶したMが正気にもどり、暴れたり大声を出さないようにするため、K、B、Jは、Eの両手を洗濯用ロープで後ろ手に縛り、同ロープで両足も縛った上、タオルで猿ぐつわをした。これに先立ち、同ロープは、Gが一階に張ってあったものを取り外してきたものであるが、その際、被告人は、それがMの身体を縛るのに使用されると考えながら、Gが洗濯用ロープを取り外すのを手伝った。(7)前記(4)ないし(6)の間、被告人は一階にいたが、二階ではMに暴行を加えることに伴う大きな音が断続的にしていたことから、被告人は、一階の窓から隣家や外部を警戒して見張りをしていた。(8)前記のようにMが気絶したので、K、B、J、G、H、被告人の全員が一旦一階に集まった際、Eは、その場にいた被告人ら全員に対し、首のところに両手を持っていき、腕を左右に引っ張って首を絞めるような身振りをしながら、「やってまえ。」「あいつを生かしといたら裁判のとき何を言われるかわからん。わしもおちおち懲役をつとめられへん。いてまえ。」などと言って、Mを殺害することを指示した。(9)そこで、EのM殺害の指示を受けたB、J、K、G、Hが、二階に上がり、Kが、まず両手で、続いてMのズボンのベルトでMの首を絞めつけ、次いでKとGが二人がかりで電話機のコードや犬の散歩用の紐を用いてMの首を絞めつけて、Mを窒息死させて殺害した。(10)二階でM殺害が実行されている間、被告人は一階にいたが、Eの指示により、Gを呼びに二階に上がり、Mの首を絞めていたGに対し、「社長(Eのこと)が呼んでいる。」と声をかけて一階に下りた。Eは、一階へ下りてきたGに、E宅から持ってきた現金を出すように言い、封筒入り現金二〇〇万円をGから受け取った。

三  そこで、以上に認定したような経緯に基づいて、被告人に殺人の共謀共同正犯が成立するか否か検討する。

1 検察官は、被告人がEから二階のMに弁当を持って行くように指示された際、Eが「どうせこれが最後のめしや。」と言うのを聞いて(前記二4(2)の時点)、被告人は、EがMを殺害する意図であることを察知した旨主張する。

ところで、被告人は、公判において、Eが「これが最後のめしや。」と言った言葉からは、EがMを殺害することまでは分からなかったと供述しているが、しかし他方では、Eの前記言葉が強く印象に残っていると供述しているところ、この点につき、検察官からその言葉を聞いてどのような意味に理解したのか質問されて、「人数分買ってきた弁当の最後の一個残っためしともとれる」などと、その言葉が強く印象に残ったというにしてはおよそ理解し難い答えをし、Eの前記言葉が強く印象に残ったという理由を説明しようとはしないことに照らすと、Eの前記言葉を聞いて、EがMを殺害することまでは分からなかった旨の被告人の前記公判供述は到底信用することができない。

これに対し、被告人は、検察官調書及び警察官調書において、Eの前記言葉を聞いて、EがこれからMを殺すことがはっきり分かった旨供述をしているところ、これらの被告人の捜査段階の供述は、被告人が前記検察官調書において、Eの前記言葉を聞いた際の前記のような供述に引き続いて、二階のMのもとに弁当を持って行き、入れ替わりに一階に下りたKとHに代わって、被告人が二階において一人でMを監視していた際の心境につき、「これからこの人(Mのこと)が殺されると思うと私はその場にとても居づらかった」旨、実際に体験したからこそ語り得る迫真性に富んだ供述をしていること、前記二に認定した本件の経緯のとおり、L、M、Oの三名の殺害をほのめかしていたEが真実Lの殺害計画を進めていたことを認識していた被告人が、前記検察官調書において供述しているところの、Eの前記言葉を聞いて、Eの意図が当初のL殺害からM殺害へと変わっていったことに関する被告人の認識の推移は、その供述の流れも自然であることに照らすと、被告人の前記捜査段階の供述は信用性が高いというべきである。そして、これらの被告人の捜査段階の供述によれば、被告人は、Eが「どうせこれが最後のめしや。」と言ったのを聞いて、EがMを殺害する意図を有していることを察知したものと認めることができる。

もっとも、Eの前記言葉は、暗示的であり、具体的な殺害指示とはいえず、この言葉を聞いた被告人が、直ちに、EがMを殺害することにつき具体的かつ確定的な認識を有したとまでは認めることはできない。前記認定の本件の経過及びEがM殺害に至る被告人の認識の推移に徴すると、「どうせこれが最後のめしや。」なる言葉から、被告人は、Eが、これから間もなく、遅くとも次の食事時間までの間には、Mを殺害するかもしれないとの認識及びMが殺害されてもやむを得ないとの気持ち、すなわちEがMを殺害することにつき未必的な認識を有したと認めるのが相当である。

しかし、さらに進めて、前記二4(2)の時点において、被告人がEとの間でM殺害につき共謀を遂げたか否かについて検討するに、前記認定のとおり、被告人は、Eが「どうせこれが最後のめしや。」と言うのを聞いて、EがMを殺害するかもしれないことを察知したが、このように被告人がEの意図を察知したことを、逆にEの側でも察知していたこと、換言すれば相互的な意思の連絡は、Eの捜査段階の供述その他前記証拠からはこれを確認することができない。そうだとすれば、被告人は、Eと相互的な意思の連絡を欠いているすなわち、片面的な意思の連絡が認められるにすぎないのであるから、このことだけから、被告人とEとの間に殺人の共謀が成立したと認定することはできない。

なお、前記二1に認定のとおり、被告人が、暴力団乙山組組員のBの配下として(組員ではないにしても)乙山組組員とともに行動し、Bの運転手や小間使いの役割を担当していたことからすると、本件M殺害に関しても暗黙の役割分担が存し、被告人については、普段からの役割に相応した、見張り等前記程度の行為を担当するという暗黙の共謀が既に存していたのではないかとの疑問がないではないが、後記のように、Jが、捜査段階において、Eが首を絞めるような身振りをしてM殺害を指示した際(前記二4(8)の時点)、被告人もKら他の共犯者と同様に二階に上がろうとしたが、Jが被告人を引き止めた旨供述していること自体、このような暗黙の役割分担が存しなかったことの証左とみることもできる。してみると、このような暗黙の役割分担に基づく共謀は、これを認めるに由ないといわなければならない。

以上に検討してきたところによれば、前記二4(2)の時点において、被告人がEとの間にM殺害につき共謀を遂げていたと認めることができない。

2 そこで、さらに進めて検討するに、前記認定のとおり、B、K、J、G、H、被告人の全員が一旦一階に集まった際(前記二4(8)の時点)、Eは、その場にいた被告人ら全員に対し、首を絞めるような身振りをしながら、「やってまえ。」などと言ってM殺害を指示し、これを受けたB、K、J、G、Hが二階に上がり、M殺害を開始したことが認められるところ、被告人が公判供述でやや明確さを欠くもののこれを認めているように、同(8)の時点において、被告人もEがMを殺害することを確定的に認識したと認められる。しかし、前記二4(10)に認定したとおり、EのM殺害指示を受けたB、K、J、G、Hが二階に上がりM殺害を実行している間、被告人は、Gを呼びに瞬時二階に上がったのを除き、終始一階にいただけである。そこで、前記二4(8)の時点において、被告人がEらとの間でM殺害の共謀を遂げていたといえるか否かについて検討する。

検察官は、Jが捜査段階において、Eが首を絞めるような身振りによりM殺害の指示をした際、被告人もKら他の共犯者と同様に二階に上がろうとしたが、Jは、被告人が暴力団員でもなかったので、被告人を引き止めた旨供述している点をとらえて、被告人が、積極的にM殺害に関与していたと主張する。しかし、被告人は、この時二階に上がるのを止められたことについては、捜査段階では全く供述をしていないし、公判でも記憶がないと供述しているのであって、いずれにしても、被告人の記憶に残ることではなかったということからすると、むしろ、このことは、M殺害につき被告人に積極性がなかったことを窺わせることになる。また、仮にJの供述するとおり止められた事実があったとしても、それまでの経緯及びその場の空気からみてその際、被告人だけが自らの判断で二階に上がらないという行動をとることを期待するのは、被告人にとってやや酷というべきであり、また他の共犯者間では、乙山組の組員でもない被告人にM殺害にはなるべく関与させまいとする雰囲気があったこと(被告人、Bらの公判供述は、この点では信用できる。このことは、兄貴分でもないJに言われて二階に上がるのを直ちに止め、そのことについて他の共犯者から何の異論も出なかった事実によっても裏付けられる。)からみても、二階に上がろうとした被告人の行為をとらえて、被告人がM殺害に積極的に関与しようとしていたとみるのは疑問がある。

さらに、前記二4(10)に認定したとおり、二階でM殺害の実行行為がなされている間、被告人は、Eの指示により、Gを呼びに二階に上がり、被告人に呼ばれて二階から下りて来たGが、Eに対し、E宅から持って来た封筒入り現金二〇〇万円を手渡したことが認められるところ、検察官は、この点をとらえ、被告人は、一階とM殺害現場である二階との間の連絡役のような積極的な行動をとっていたと主張する。しかし、前記の被告人の行為は、M殺害を遂行すること自体とは関連がなく、格別の意味を持たすこともできないから、ことさらにこの行為を取り上げることは失当である。そして、前記証拠によれば、他に被告人が連絡役を果たしていたような事実は、これを認めることができない。

以上に検討してきた諸点を総合すれば、前記二4(8)の時点において、被告人は、EがMを殺害する意図であることを確定的に認識していたことは認められるが、だからといって、被告人が、Eと共同意思の下に一体となって、互いに他の行為を利用してM殺害を実現しようとしたとまでは認め難いといわなければならない。

3 さらに、検察官は、被告人が、Mの死体遺棄に積極的に加担していること、Eから報酬として、他の共犯者と同様に、四〇〇万円を受け取っていることを挙げ、被告人にM殺害の共謀が成立していると主張する。

しかし、被告人が死体遺棄に関与したという点は、前掲証拠によれば、被告人は、死体を遺棄することの決定自体及びその方法、場所等の決定には何ら関与していないばかりか、Bらの指示するままに自動車運転手として関与しただけであること、また、四〇〇万円の報酬を受領しているという点は、前掲証拠によれば、Eから一方的に、他の共犯者と同額が支払われたにすぎず、殺人の犯行について被告人が加担した分に対する報酬の趣旨と、証拠湮滅のための死体遺棄につき、実際に遺棄現場まで死体を運んだことに対する報酬のほか、本件全体に対する証拠湮滅料、口止め料等の趣旨が加えられているとみられるのであるから、これらの点も、被告人に共謀の成立を認めるべき理由とするには不十分といわざるをえない。

4 以上1ないし3において検討してきたところを総合すると、Mに対する殺人については、結局、被告人とEとの間の共謀の点はその証明が十分でなく、被告人に共謀共同正犯の刑責を認定することはできない。

四  そこで、次に、幇助犯の成立について考察する。

前記認定のとおり、被告人は、EがMを殺害するかもしれないことを察知しながら(Eと相互の意思の連絡があったとまでは認めることができず、片面的な意思の連絡ということになる。)、その後M殺害の実行行為が開始されるまでの間に、二階において、被告人一人でMを監視したこと、一階において、それがMの身体を縛るのに使用されることを認識しながら、Gが洗濯用ロープを取り外すのを手伝ったこと(なお、GやJさらには被告人の捜査段階の供述によれば、Eが首を絞めるような身振りによりM殺害を指示した後に、このEの指示を受けたGが、被告人を手伝わせて、一階に張ってあった洗濯用ロープを取り外したというのであるが、これに対し、BやKの供述によれば、洗濯用ロープを取り外し、同ロープで気絶したMの両手、両足を縛った後に、Eの前記指示があったことが認められること、及び、被告人が、公判で、洗濯用ロープを外した後にEの前記指示があった旨供述していることを照らし合わせて考えると、前記のG、J及び被告人の捜査段階の供述は信用することができない。)、一階において、窓から隣家や外部の様子を警戒して見張りをしていたことが認められる。

そして、これらの被告人の行為は、殺害の対象であるMの逃走を防止し、Mの身柄を確保し、あるいは、外部からの犯行遂行の妨害を排除するものであり、EのM殺害の犯行を容易にするものであることは明らかである。なお、検察官は、M殺害の実行行為中も被告人が一階で見張り行為をしていた旨主張し、被告人やB等は捜査段階ではこれに沿うかのような供述をしている。

しかし、M殺害の実行行為開始以前の時点では、二階でMに暴行を加える大きな音が断続的にしていたのであり、さらに、M自身がその苦痛や恐怖から悲鳴や大声を発することも考えられるから、その音が外部に漏れ聞こえることを恐れて、一階の窓から隣家や外部の様子を窺って警戒する等の見張り行為をする必要があった(隣家が近接しており、窓から様子をさぐられるような現場の状況であり、また、前記のように音がすることから、けん銃による殺害には反対されている。)のに対し、M殺害の実行行為中においては、気絶状態で手足を縛られ、猿ぐつわをされているMの首を絞めているだけであって、もはや二階では大きな物音はしていなかったし、その可能性も少なかったのであり、また、M殺害は二階で実行されているのであって、一階に来訪者があったとしても、直ちにM殺害を察知、発見されるというわけでもなく、前同様の見張り行為は客観的にみてその必要性がないと認められる上、M殺害の実行行為中、被告人が一階で見張り行為といいうるような具体的な行動をしていたことを認めるに足りる証拠もない。もっとも、他の共犯者が二階でM殺害の実行行為をしている間、被告人が一階に居たという事実は、ごく一般的にみれば見張りぐらいはしていたのだろうと思われることであるし、他の共犯者にしても、ばく然と、被告人が見張りのようなことをしてくれているのではないかとの意識を持つ者があったかも知れない。従って、前記被告人らの捜査段階での供述にしても、そのような観点からの捜査官の理詰めの追及に被告人らが抗し切れずに供述した疑いが多分にある。しかし、本件において、被告人が一階で何か積極的に見張り行為をしなければならないような客観的状況にあったかどうかがまさに問題であって、この点が肯定できない以上、M殺害の実行行為中における被告人の見張り行為を認めることはできない。

以上によれば、被告人は、間もなくEがMを殺害することになるであろうことを察知しながら、その実行行為前に、EのM殺人の犯行を容易に前記行為に出ていることが認められるから、判示のように幇助犯としての刑責は免れないといわなければならない。

(法令の適用)

罰条

第一の行為 刑法六二条一項、一九九条

第二の行為 刑法六〇条、一九〇条

刑種の選択

第一の罪について 有期懲役刑

法律上の減軽

第一の罪 刑法六三条、六八条三号(従犯)

併合罪の処理 刑法四五条前段、四七条本文、但書、一〇条(重い第一の罪の刑に加重)

未決勾留日数の算入 刑法二一条

(量刑の事情)

一  被告人の本件犯行は、主犯のEの指示の下に、Eらと被告人が白昼何ら落ち度のない被害者をだまして本件家屋まで連行し、Eらにおいて、被害者に対し、執拗に殴る蹴る等の暴行を加えて気絶させたあげく、第一の犯行は、EとBらが共謀の上、犬の散歩用の紐等で被害者の首を絞めつけて殺害する前、Eが被害者を殺すことになるのではないかとその情を察知しながら被告人は、被害者を監視する等してEらの殺人の犯行を容易にしてこれを幇助したものであり、これに引き続く第二の犯行は、被告人がEらと共謀の上、殺人の犯跡を隠すために、被害者の死体を殺害現場から遠く離れた岐阜県下の林道の工事現場まで運び掘削機(ユンボ)で穴を掘って投棄し、上から土石をかぶせて土中に埋没させて遺棄したものであるところ、ことに第一の殺人幇助の犯行は、Eらが犯した殺人の犯行の結果の重大性や犯行態様の残虐さ、無惨さに照らすと、幇助犯にとどまるとはいえ、犯情は軽視できないこと、第二の死体遺棄の犯行は、EやBらの指示で、被告人は、大阪府下から岐阜県下の林道まで被害者の死体を運び、これを車から降ろすまでの実行行為を担当したものであって、大胆で、かつ、陰惨な犯行であること、被告人は、事件後、本件犯行の報酬ないし口止め料としてEから四〇〇万円を受け取り、乗用車を購入したほか、飲食、遊興費等に全額を費消し尽していること等にかんがみると、被告人の刑事責任は重い。

二  しかしながら、他方、第一の犯行については、被告人は、殺人の実行行為には全く関与しておらず、幇助犯が成立するに止まるものであること、被告人は、第一、第二の犯行とも、EやBの指示のままに行動したものであって、その場の雰囲気に流され、また、Bの配下として同調せざるを得なかったという一面があったこと、被告人の父親が、今後親、兄弟ともども被告人の更生に協力していく旨約していること、被告人は未だ年齢も若く、これまでに前科前歴はなく、被害者に対する謝罪の気持ちを率直に述べ、反省の態度を示していること等被告人にとって酌むべき事情もある。

三  そこで、これらの事情を総合して考慮し、被告人に対し、主文の刑に処するのが相当である。

(裁判長裁判官 河上元康 裁判官 白神文弘 裁判官 内藤裕之)

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